ナマケモノときどきヤルキモノ

特に食欲に忠実です

仏像の瞬き

わたしは『福岡県』に対して特別な感情をもっている。
それは決して「父の実家があるから」といった一面的な理由ではない。

いま2018年、わたしは5年ぶりに父の実家に来ている。

 

ついこの前までわたしの祖父の弟にあたるほとんど関わりのない親戚の家にいた。
その家に行くと大きな仏像が睨みを効かせた仏間があり、毎年うなぎパイを持っていくと40分や50分正座をしてお経を聞かなければならなかったことだけは覚えている。
ところが、お経を唱え、木魚を叩く丸い背中のおじいさんが倒れたらしいのだ。
癌の手術を終え、退院したようなのだが「いつ死ぬかわからんから会いにいきなさい」という福岡の祖母の一言で行くことになったのだ。

 

正直、乗り気ではなかった。
1時間であろうと、正座させられることは大した問題ではない。
父が知らない誰かになるのがいやだったのだ。
10年ほど前だろうか、しびれた足をもじもじ動かして面白いものを見つけようときょろきょろしていたら隣に知らない人がいてぎょっとしたことがある。
その人は紛れもなく、私の父だった。
しかし、何度見ても、父ではなかったのだ。
背中を丸め、手をあわせるその姿は、娘であるわたしが知らない人生を歩む”トシユキ”であった。
「福岡で生まれ育ち、長崎の大学に行き、念願のヤマハ株式会社で勤めるために浜松に来た。」
わたしが知っている父の人生はこんなものだ。
隣に座っていた”トシユキ”という人間は中学生の頃からタバコを吸い、長男の重圧に悩み、兄弟仲をこじらせ、数々の恋愛をしてきた(父によく似た顔の)男の人だった。
彼はわたしよりもはるかに年上ではあったけれど、同じ年齢の男の子にもみえた。
その瞬間から、わたしにとって福岡が特別な場所になったのだ。

 

話が脱線してしまった。
とにかく「うぇーまた仏間行くのかなあ」という気持ちで5年ぶりの親戚の家に上がったのだ。
すると仏間の奥の扉が開き、白いおじいさんが出てきた。
「白い」と表現したのは白いTシャツを着ていたからでもあるし、白い髪の毛をしていたからでもある。
ただ、私には妙に白くみえただけである。
白じいさんは「よく来たね」とだけ言い、玄関から仏間までわたしたちを誘導した。
その道中には丸められた羽毛布団や毛布が散らかっていて、4つの季節がすべてこの家の中に留まっているような不思議な感じがした。
仏間に着くと、白じいさんはまず3メートルほどの仏像に手を合わせて深く会釈した。
流れるような動作ではあったけれど、つぶる前の目は仏像の艶やかな瞳を深くとらえていて、日常の中でこの動作を大切にしていることがわかった。
白じいさんは歩を慎重に進めると座布団に膝を立て、ろうそくに火を灯した。
火をふって消せず、父にマッチを渡したのは骨が皮をぶらさげているような腕だった。
わたしはその腕から目が離せなかった。
今にも千切れて床に落ちそうなほどにたるんだ皮が重そうで、わたしはつい自分の腕の皮をつまんでしまった。

 

父が線香を立てたのでわたしも続こうとしたとき、白じいさんはあぐらをかき、自分の腹を指差した。
なにやら病気の話をしているようだ。
線香立てがおわり、仏壇のほうを見上げると父が立てた線香の先端が1センチほど灰になっていた。ふと仏像の瞳をみていると仏像の向かいのカーテンが風でめくれ上がり、光が差したので瞬きしているような錯覚をおこした。
そういえば今夜台風がくるといっていたな、と思って線香に目をうつすと灰はすべて落ち、赤い火が先端に灯っていた。

 

なんとなく気になって仏像の向かいの窓を眺めた。
するとまたカーテンがめくれ、外が見えた。
水場があった。
畑作業帰りに長靴を洗うための場所だろうか、ホースがつなげられた蛇口が見える。
その蛇口の真下には仏壇用の枯れた葉がひろげられていた。
そばにはさみが置かれていて、この大きな仏像のために一生を捧げたのかのような儚さを感じた。
儚さ・・・ではないが、この感情を言葉に当てはめるなら「儚い」がいちばんしっくりくるので使っているだけだ。
その葉を見て、ふと白じいさんを思い出した。
視線をうつすと、白じいさんは顔をしわくちゃにした満面の笑顔を浮かべていて、後ろのカーテンがなびいている。
カーテンの上には歴代の先祖が笑顔で写った遺影があり、白いカーテンから漏れた白い光がさらに彼を白く染め上げていた。
美しい、と思った。

 

そうそう、ここまで一度も出てきてないが白じいさんには奥さんがいて、彼女もずっとその部屋にいた。
ただ、彼女は認知症が進行していて、わたしに「あんたどこの娘?」と5回ほど聞いてきた。
「トシユキの娘です」というと、毎回きまって「そうかい!あえてうれしいなあ」と可愛らしく微笑んだ。
隣に座っていた母は悲しそうな目を浮かべていたが、私には白じいさんも奥さんもこのうえなく幸せな夫婦にみえた。
ラッセルが言っていた。
「困難なときがいちばん幸せである。なぜなら未来は自分の手で変えられるからだ」(超訳
この2人には死後の世界が輝いてみえているのだ。
きっと、目を閉じればあの世での幸せな日々を思い描いているのだろう。
それが幸せかは他人が決めることではない。
近いうちに完全に白くなった夫婦はなびくカーテンの光に溶けるようにあの世へ旅立っていくのだなあと、なんとなく思った。